堀内法律事務所のブログ「止まり木」にようこそ。

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祖母の想い出

祖母の想い出

西日の差し込む祖母の部屋はいつも線香の匂いがたちこめていた。四歳のとき弟が生まれたので、私は祖母と寝起きを共にすることになった。

祖母は熱心な仏教徒だった。朝晩、唐木仏壇を開いて香炉に線香を立て、長いお経を唱えた。祖母の年齢にしてはびっくりするほど張りのある声だった。その独特なリズムと最後にリン棒でおりんをチーンと鳴らすのが面白くて、見とれているうちに私はいつしか空でお経が言えるようになった。

「おばあちゃんがいない間、仏様のお守りを頼んだよ」

月に一回、祖母は泊りがけでお寺の本堂で行われる講和を聞きに行く。そこで親しい友人たちに会えるのも楽しみだったのだろう、髪をきちんと結い上げて、一番上等な着物を着て、うきうきと出かけて行った。毎回その姿を見ながら、お寺というところはよほど楽しいところに違いないと私は思っていた。

留守の間祖母がしていたとおり、花立ての水を取り換え、線香を立てて、私は全く意味がわからないお経を祖母の声を真似て、唸るように唱えた。最後に鳴らすおりんだけは祖母と違って何回も鳴らした。

母は感心して「いい子だね」と褒めてくれた。日ごろ祖母と母の仲がしっくりいっていないのを子供ながらに感じていた私は、祖母が帰ってきたとき、その話題できっと母と意気投合するだろうと嬉しくてならなかった。

「お母ちゃんに内緒だよ」

お寺から帰った祖母は、二人になると巾着袋から紙に包んだお菓子を取り出し、「お勤めありがとう」と言ってにこにこしながら渡してくれた。少し線香の匂いがした。

祖母は孫たちが良い子に育つように願っていたのだろう。だからことあるごとに「悪いことをすると罰があたるよ」とか「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるからね」と、ほぼ脅かしに近い言葉を口にしていた。それは祖母なりの宗教教育だったのかもしれない。私は祖母が大好きで、尊敬もしていたので、祖母の言うことは全て正しいと信じていた。

特に土地柄が米どころだったのでお米に関しては厳しかった。

「お米はね、お百姓さんが八十八回腰を曲げて作られるものなんだよ。だからごはんは一粒たりとも無駄にしてはいけないよ。無駄にしたら罰があたって目が見えなくなるからね」と、耳にたこができるほど聞かされていた。

ところがある日、お手伝いで仏壇のごはんを台所に運んだとき、私は誤って流しにこぼしてしまった。無情にもごはんは流しの排水口からあっという間に流れて行った。

「目が見えなくなる!」

恐怖で体がこわばった。不安で、不安でいられなくなった。私は一日中めそめそしながら過ごし、おなかも空かなかった。普段と様子が違う私を見て、夜に帰宅した父がどうしたのと話しかけた。私は震えながら恐ろしい失敗を父にこっそり打ち明けた。

「そうか、それは大変だったね。でも大丈夫だよ。罰は当たらないし、目が見えなくなることは絶対にないから安心して寝なさい」と、父は笑いながら言った。どうしてこんな時に父が笑うのか疑問だったが、なんだかほっとして私は眠りについた。

しかし、まだ不安が続いていたのか、私は真夜中に目が覚めてしまった。昭和二十年代の北陸の田舎では夜は漆黒の闇だった。

「ああ! 見えない!」私は悲鳴を上げた。その声で隣で寝ていた祖母が飛び起きて。「どうしたの」と、おろおろしながら言った。

「やっぱり罰があたったんだよ……」私はそう言って悲しくて大声で泣いた。それを聞いて父がすぐ飛んできて部屋の電気を点けた。

「あっ! 見える」と思ったが、恐怖の衝撃が治まらず、私は父にしがみついて泣きじゃくった。

「あのね、また言うけど、罰なんか当たらないし、目が見えなくなることはないよ。それはね、おばあちゃんが子供たちにお米を大切にしてほしくて言った嘘だったんだよ。だからもう心配しなくていいよ」

と、父が優しく言ってくれたが、私は更なる衝撃に襲われた。

おばあちゃんが嘘をついた!

私は振り返って祖母を睨んだ。そして「閻魔様に舌を抜かれるからね!」と、心の中で叫んだ。

かくして私の祖母への尊敬は崩れ去った。おばあちゃんの言うことなんか信じない。私は心に固く誓った。

とはいっても子供だったので、ぐっすり眠った後は、やっぱり祖母のことは大好きだった。祖母はそれ以来お米については何も言わなくなった。

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