堀内法律事務所のブログ「止まり木」にようこそ。

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順番を待ちながら

予約時間よりかなり早めだったが、外出先から直接歯科医院に直行した。待合室でのんびり待っていたら、静かな空間に、ひたひたと音楽が流れてきた。耳を傾けると、『流転の王妃・最後の皇弟』のメインテーマだった。(平成15年テレビ朝日放映)
葉加瀬太郎作曲の、この哀愁に満ちた曲を聞くと、いつも一枚の絵を思い出す。「ロシアのモナリザ」と称されるクラムスコイの「忘れえぬ女」だ。その時もやっぱり脳裏に浮かんだ。


一人の若く美しい女性が馬車の上から虚ろな眼差しをこちらに向けている。装いから上流階級の女性と思える。その表情は押し寄せる悲しみに茫然としているようにも、じっと耐え忍んでいるようにも見えるが、心の奥には強い意志を秘めているように見える。

 

 

いったい彼女に何があったのか? ずっと謎だったが、順番が来るまで推理してみることにした。先ずは想像で、彼女の動きを映像のように巻き戻してみる。

―馬車から降りて、足早に彼女が建物の中に戻って行く。そしてそこには、男性が一人立ち竦んでいる。精悍な顔立ち、貴族出身の文官のようだ。二人は熱く抱擁を交わす。会話はなく、互いの目には涙が溢れだした。

想像上では別れのシーンだった。これであの絵は別離直後の彼女を描いたものと判明。では愛し合う二人は、何故別れることになったのだろう?

この絵が発表された当時のロシアでは、これはトルストイの「アンナ・カレーニナ」に触発されて描かれたと主張する説が有力で、実際この絵をカバーにして本が出版されたこともあったとか。しかし、私のイメージは違う。トルストイではなく、ドストエフスキーなのだ。

私は連鎖的に彼の『貧しき人々』を思い出した。この本の中にイメージがぴったりな二人がいるからである。『貧しき人々』は、中年の下級役人のマカールと、天涯孤独の娘のワルワーラの往復書簡で、二人は文通で励まし合い、互いの貧しい暮らしを支え合ってきた。

 

若く美しいワルワーラは、聡明で絵の女性にぴったりだが、うだつの上がらないマカールはあまりにチマチマしていて、彼は論外! 彼より彼の若き上司がすばらしい。「閣下」という尊称で呼ばれているその男性は、エリート官僚なのだが、謙虚で温厚な人物だった。ドストは彼の外見の描写に手抜きをしているが、凛々しい閣下がハンサムでないはずがない。

 

ある時、貧困ゆえにミスを犯してしまったマカールを、閣下は叱責するどころか、彼の苦しい事情に理解を示し、その対応は驚くほど思いやりに満ちていた。マカールならずとも私まで大感激してしまった。

前置きが長くなったが、そんなわけで、絵の女性とその恋人のイメージは、ワルワーラとこの閣下なのである。

だが、作中では二人は出会うことなく、貧しさに追い詰められたワルワーラは、俗物的な地主の、ブイコフに嫁いでこの物語は終わる。
二人が巡り会わなければ、私の推理は成立たない。故に文豪には大変申し訳ないが、続編を考えさせていただく。

―ブイコフは地方の裕福な大地主だったが、老人だったので、ワルワーラが嫁いだ直後に亡くなり、彼の豊かな資産と土地はすべて彼女のものとなった。利発な彼女は、それを元手に得意な洋裁と刺繍の大規模な洋装店を開店し、さらにその収益で、広大な所有地に紡績工場までも設置した。数年で莫大な利益を得て、ワルワーラ―は都会の有力者の仲間入りを果たし、貴族の閣下と出会うのである。二人が恋に落ちことは言うまでもない。

イメージの二人がこのとおりなので、絵の二人が相思相愛なのは当然となる。とは言え、依然として別れの理由は謎のままである。

ロシアでは今でもこの絵を『アンナ・カレーニナ』にかぶらせて観る人が多いそうだ。だが私は絵の女性は、不倫の愛に翻弄されたアンナではなく、貧困を乗り越え、自らの力で人生を切り開いた(に違いない)ワルワーラだと思う。絵の表情から感じられる密やかな矜持は、別離の理由がもっと大きな「使命」によるものであることを感じさせるからだ。

では大きな使命とは何か? それは「ロシア革命」ではないかと思う。(そう思いたいのである)そのためには時代を帝政ロシアの末期に進めなければならない。『貧しき人々』が出版されたのは1846年で、革命までには71年もの時の隔たりがある。これをどう推理し、どう想像すれば謎は解けるのだろうか?

絵の女性をワルワーラの孫にしたらどうか? あるいは時空を超えて、ワルワーラをその時代にワープさせる方法もある……革命は彼女と閣下の運命をどう変えていくのか? いよいよ大詰めを迎えたその時、
「お待たせしました! 診察室にお入りください」と、ピンク色のユニフォームの、ふくよかな歯科衛生士が、扉を開けて言った。続きはまた葉加瀬太郎の曲が聞こえてきたときに考えることにしよう。

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