堀内法律事務所のブログ「止まり木」にようこそ。

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「手」雑感

 ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、レンブラント、ベラスケス、ゴッホ、ゴーギャン、ブリューゲル、カラヴァッジョ等々、西洋美術史上名だたる画家たちが、旧約聖書、新約聖書それぞれの名場面の絵を描いている。(活字印刷が発明されるまでは字の読めない人が多かったので、彼らに宗教的知識を与えるためや、信徒の宗教感情を高揚させることが目的だった)
 それらの絵とそれに関する聖書の解説をしてもらえるというお得な講座のことを知って、毎月一回せっせと通った。
 講師は元牧師で、今は大学で教鞭をとられている異色の先生。この講座にうってつけの、とても穏やかな優しい先生だった。
 二年続いた講座もついに最終回を迎えてしまった。最後の講義は、これまたぴったりの「最後の審判」だった。
「この世の終わりが来たとき、人間は誰もが神の御前で審判を受けさせられ、天国か地獄か行き先が決められる」新約聖書にそう書かれてある。
 その場面をジョット、フラ・アンジェリコ、ミケランジェロ、ルーベンス等の巨匠が描いているのだが、先生曰く、
「時代や、それぞれの画家の個性や解釈などによって表現が違っています。そこがわかると面白いですよ」
 大型ディスプレーで細部に亘って絵の特徴を説明してくれて、聖書の解説も加えてくれるので、非常にわかりやすく興味深い。
 どの絵でもキリストは、右手を上げて、左手を下げている。右手方向の人々は安らかに天に昇って行き、左手の方向の人々は悶えながら地獄に落ちて行っている。右手と左手の違いが強烈すぎる。
 そう言えば、たいていの楽器は、右手は高音、左手は低音を奏でる。高音は常に天に近いものとされてきたことから、楽器は右に価値をおいているのかもしれない。楽器のことは、よくわからないのだが、英語の右は「right」で、「right」には「正義の」という意味もあるようだ。やはり右の方が高尚なのだろうか。
 日本語に「左遷」という言葉があるが、語源由来辞典によると、中国では右を尊び、左を卑しむ観念があり、官位の降格を「左遷」といったそうだ。なかなか面白い。
 左手といえば宮澤賢治の『セロ弾きのゴーシュ』だ。主人公のゴーチェロを引く若者シュは下手くそなチェリストで、いつも楽団の楽長に叱責されている。梅津時比古の『《ゴーシュ》という名前』(東京書籍2005年発売)という著書によれば、「ゴーシュ」というのはフランス語で、「ぎこちない」、「不様」、「ゆがみ」という意味で、主人公の性格や人間像を表わすのにふさわしい言葉だそうだ。その他に「左手」という意味もあり、左手=不器用というイメージも重なって、宮澤賢治はこのフランス語を意図して名前に用いたようだ。ちなみにフランス語は全くの独学だったらしい。
 『セロ弾きのゴーシュ』は愉快な話なので、子供向けの童話だろうと思っていたが、それは大変な誤りで、実は賢治の綿密な音楽理論に基づいて書かれている非常に深い作品であることを、恥ずかしながらつい最近知った。明治の時代に、しかも東北の岩手の地に、これほど豊かで、独創的な文学者がいたとは……。
 この作品を手掛かりに、イーハトーブの世界をもっと極めたい。
 テーマ「手」

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