堀内法律事務所のブログ「止まり木」にようこそ。

当ブログでは、事務所のスタッフ(+α)が、身近な四季の風景や、思い出の風景、 おすすめの本の紹介などを綴りながら、 ここでちょっと羽休めをしております。

お時間がおありでしたら、止まっていってください。

チョコの珍事件

猫を飼う予定など、我が家には1ミリもなかった。ところが人生というのは油断ならない。ひょんなことからそうなった。我が家にやってきたのはアメリカンショートヘアーの2か月の子猫だった。
「知り合いが子猫をもらってくれる人を探しているんだけど、見に行かない? すっごく可愛い、美猫なんだって」
隣の奥さんの「美猫!」の響きが胸に突き刺さり、見たいと思った。娘も行きたいと言うので一緒に出かけた。
待っていたのは、顔の黄金比率が完璧な、まごうことなき美しい子猫ちゃんだった。私も娘も一目惚れで、迷う間もなく家に連れ帰った。こうして猫が、突如、家族になったのである。
ちょこちょこしていたし、存在そのものが超スィートだったから「チョコ」と名付けた。

チョコが来てから我が家は激変した。一人っ子の娘には妹兼ライバルが出現した。夫には深夜に酔って帰っても玄関で可愛いお迎えが待つようになった。私にとっては愚痴や自慢を聞いてくれるよき仲間だった。家族が集まれば、チョコの話で笑いが尽きなかった。当のチョコは密かに家族にカースト制度を導入していたらしい。あらゆる面倒をみてくれる私は最上位で、次が娘、最下位は夫で、役職でいえば「主任餌係」くらいだった。それでも夫は「チョコや、チョコや」と目を細めていた。

毎朝、娘が学校へ行く前に、私は髪を結ってあげていた。ポニーテール、二つ結び、ハーフアップ。いずれもカラフルなゴムや細いリボンを使うたび、チョコは横でちょこんと座り、うるうるした目で眺めていた。
「チョコって、前世はお姫様だったのかも。侍女に髪を結ってもらってたのを思い出してるんじゃない?」と娘が言った。
「そうかもね。でもゴムやリボン、外したらちゃんと片づけなさいよ。いつもどっか行って、また買う羽目になるんだから」
「は〜い」と軽い返事をして、娘は飛び出していった。その後ろ姿を、チョコと私は並んで見送った。

それから数か月して、チョコの様子がおかしくなった。食いしん坊なのに全く餌を食べないし、水を飲むのさえ、苦しそうだった。これはまずいと、直ぐに獣医の村上先生のところに連れて行った。村上先生は、寡黙だが、動物たちにはとても優しかった。丁寧に触診して、レントゲンも撮った後、
「お腹を触るととても痛がります。腫瘍ができているのかもしれません。明日開腹手術をします。結果によっては、そのまま閉じることもありますので・・・覚悟してください」

チョコはそのまま入院することになった。

夫に電話すると、「今日は早く帰るよ」と言い、帰宅後すぐに二人で面会に行った。チョコはケージの奥で蹲っていた。「チョコ!」と夫が名を呼ぶと、ピクリと反応して、よろけながら近づいてきて夫の手をちょろりと舐めた。
「俺、もうたまんないよ!」
単なる餌係なのに、夫は主役のように涙ぐんだ。
「大丈夫よ! チョコはきっと乗り越えるわ」
「チョコ頑張れよ!」
「チョコちゃん、ファイト!」
と、優しく声をかけて村上医院を後にした。
お互い無言で歩いた。空には大きな真ん丸の月が輝い
ていたが、眺める余裕もなかった。まだ一年ちょっとし
か一緒にいないのに、もうお別れなのだろうか? そう
思うと胸が締め付けられた。その夜は家族の誰もがよく
眠れなかった。

翌日の午後、夫と結果を聞きに行った。
「こんなものがチョコちゃんのおなかから出てきましたよ!」
先生が見せたのは、男性の片手では収まらないほど
の、カラフルなゴムとリボンの塊だった。唖然として、
私たちは完全に固まってしまった。
「猫はこんなものも食べるんですね。珍しい症例なの
で、今度学会で発表しましょうかね・・・」
普段は寡黙な先生がにこやかに言い、
「チョコちゃんはすっかり元気になりましたよ。一週間ほどお預かりしますね」と続けて言った。恥ずかしいやら申し訳ないやらで、私も夫も先生を直視できなかったが、ひとまずはほっとした。

一週間が経ち、チョコは傷口を舐めないように白いワンピースのようなものを着せられて帰ってきた。久しぶりの我が家が嬉しいのか、家中をぴょんぴょん跳ね回っていた。
「チョコちゃん、何がお姫様よ! ゴム紐が食べたくていつも張り付いていたのね・・・」私が言うと、
「よっぽどおいしかったのかな?」と、夫が暢気に言った。
「死ぬほど心配してたのに、原因がゴムとリボンだったなんて。本当にお馬鹿なチョコ。もう笑うしかないね!」
そもそもの当事者まで反省そっちのけで言うので、私たちはチョコを抱きしめながら笑いあった。自分がなぜ笑われているのか、知る由もないのに、チョコも一緒に大笑いしているように見えた。

その後、娘はゴムやリボンを一本たりとも置きっぱなしにせず、厳重に管理するようになった。チョコはそれから十八年間、人間でいうなら百歳近くまで、元気で長生きした。

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庭の一年リレー

庭の一年リレー

 

南の窓を開けたら、梅が一斉に花を咲かせていました。いよいよ我が家の庭のリレーがスタートしたようです。
それではここから実況中継を始めます。
第一走者の梅は区の緑化キャンペーンのときに苗をもらったものです。町内会長さんが、
「この辺りは梅に適した土地だから、すぐ大きくなって花をいっぱい咲かせてくれますよ」と、ニコニコしながら渡してくれました。
見回せばご近所のどの家にも梅の木があり、二月になると可愛い花を咲かせています。遠い昔、ここは梅の里だったのかもしれません。
会長さんのお言葉どおり、我が家の梅はすくすく育ち、毎年真っ先に春を告げてくれます。

第二走者は、沈丁花と雪柳です。仲良く並んで、春の舞台に登場します。沈丁花は甘く上品な香りを放ち、雪柳は目映いほど白いレースをまとって、互いに春の訪れを喜び合っているようです。

その共演を横目に、じりじりと出番を待っているのが第三走者のサツキツツジと山吹です。五月が近づくと一気に咲きだします。サツキの赤い花を見ると、子供の頃に母に着せてもらった着物を思い出し、胸がほっこりします。

山吹の花言葉は「金運」。鮮やかな黄金色の花が小判を連想させ、庭に植えると金運を呼び込む開運花と言われています。もっとも我が家の山吹は未だ本領を発揮してくれていません。それでも期待だけは毎年ふくらみます。

この二本の頭上を見上げると、三本の木が懸命に花を咲かせています。コナラ、エゴノキ、ヤマボウシ。どれも我が家のシンボルツリーです。

コナラは一本の木に雄花と雌花が咲きます。新しい枝の下に黄色い雄花が垂れ下がり、葉の付け根に赤い雌花がちょこんと咲きます。図体のわりに雌花があまりに控え目なので、そのギャップに思わず笑ってしまいます。案外照れ屋なのかもしれません。

コナラの隣はエゴノキです。スズランのような白い小さなベル型の花が、ぎゅうぎゅうに寄り添って咲きます。もし風に吹かれて一斉に鳴りだしたら、町内中に響き渡る大合奏になるでしょう。

エゴノキから少し離れたところに佇んでいるのはヤマボウシです。十字架のような白い清楚な花を咲かせ、秋には赤い実がなり、そして紅葉も目に鮮やかです。一本で三度楽しませてくれる、サービス精神が旺盛な木です。花言葉は「友情」。ヤマボウシは私の親友です。

爽やかな初夏はあっと言う間に過ぎ、雨の季節がやってくると、紫陽花たちがバトンを受け取って走り出します。

我が家ではヤマアジサイ、カシワバアジサイ、ガクアジサイの三種類が咲きます。ヤマアジサイはすみっこでひっそりと。それに比べてカシワバアジサイは毎年大騒ぎです。ピラミッド型の大きな花が重たげに垂れ下がり、今にも倒れそうでハラハラします。悩める哲学者たちのように見えるので、私は添え木をしながら、
「先生方、そんな簡単に物事の本質はつかめませんよ」

と、つい声をかけてしまいます。

ガクアジサイは鉢植えから庭に移したら、しっかり根付いてくれました。
正岡子規の俳句に、

「紫陽花やきのふの誠けふの嘘」

があります。

刻々と色を変える紫陽花に人の心の移ろいやすさを重ねた句ですが、私は雨に打たれながら凛と咲いている姿に、むしろ勇気をもらいます。

最近の夏は息をするのさえうんざりする猛暑です。そんな中でも白花萩だけは、暑さに抗うことなく、玄関の横で黙々と小さな白い花を咲かせ続けてくれます。おかげで暑さが少し和らぐ気がします。

厳しい夏がようやく往くと、どこからともなく甘い香りが漂ってきます。花より先に匂いで秋を知らせてくれる金木犀です。庭の東側で二本の金木犀がオレンジ色の小花を咲かせ、まるでデュエッとするように香りを放ってくれるのです。ミュージシャンに例えるなら、私の好きな2CELLOSのような絶妙なコンビネーションです。

やがて冬将軍が到来すると、リレーもついに最終走者となります。アンカーはサザンカです。ツバキと間違えそうですが、花びらが一枚ずつ落ちるので見分けがつきます。とても潔い花で、鮮やかな紅色の花をぱっと咲かせては、ぱっと散り、また次々と花を咲かせます。冬枯れの庭を明るく彩って走り続けてくれる頼もしいアンカーです。

こうして我が家の庭の、一年リレーは幕をとじます。

ふと南側の梅に目をやると、次のリレーに備えてもう蕾を膨らませていました。

(追伸:庭の広さはご想像よりずっと狭いです。悪しからずご了承ください)

 

   

エゴノキ             カシワバアジサイ

 

サザンカ

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サングラス

ふっくらほっぺに、くりくりの目。まんまる顔の丸ちゃん——それが幼い頃の我が娘だ。
一人っ子だったせいもあって、
「この子の幸せは、何があっても守る」と、私はひそかに心に誓っていた。

娘が通ったのは、カトリックの女子修道会が運営する小さな幼稚園だった。年少から年長まで各一クラス。全園児を集めても八十人に満たなかった。
毎朝、修道服に白いエプロン姿のシスタークララが、太陽のような笑顔で迎えてくれる。お天気のいい午前中は、園児全員が庭で入り混じって遊ぶのが園の方針だった。のんびりした空気が娘にはぴったりだったのか、毎日ご機嫌で通っていた。

それだけで私は十分幸せだった。

ところがある日、迎えに行くと、いつもなら全速力で駆けてくる娘が、口をとがらせてしょんぼり歩いてくる。
「どうしたの?」
「あのね、すべり台の上にいたら、年長さんのお兄ちゃんたちがきて意地悪したの。首をぎゅ〜って絞めたの」

首を絞めた?

見ると、首筋が赤くなっている。怒りと驚きが胸の奥で一気に沸騰したが、顔には出さない。
「痛かったね。ひどいね。誰がやったの?」
「よしつね君たち」

ヨシツネ……?

あの源義経か? 武勇に優れた美しき英雄。その名を授ければそうなるとでも思ったのだろうか? 名前に罪はないが、何故か腹立たしさが倍増した。許すまじ義経!

「もうすべり台であそべないよ・・・」
「大丈夫よ。すべり台で遊べるようにしてあげるからね」私はにっこり笑って言った。

翌朝、私は黒いパンツに黒いTシャツを着て、ポケットにはサングラスを忍ばせた。真っ黒な細フレームのサングラスで、これをかけると一発で強面に見える代物だった。
園に着くなり娘に聞いた。
「義経君たちはどこ?」
「あそこ」
指差す先は砂場。三人の男の子が小猿のようにキャッキャと遊んでいる。娘をシスターに預け、私はゆっくりとサングラスをかけ砂場へ向かった。開園間際で親の姿はもうない。

「義経一派ってのは、おまえらか?」

ドスの効いた声で言うと、真ん中の子がびくっと震えて振り向いた。美しき英雄とは程遠い、足軽その1といった顔つきだった。

「昨日、すべり台の上で年中の女の子の首を絞めたんだってな。よくもやってくれたな。私はその子のお母さんだよ」
高校時代から演劇好きの私にとって、あの有名なドラマ「ごくせん」の教師のような、凄みのある母親を演じるなど造作もないことだった。

「いいか、二度とやるんじゃねぇぞ。今度やったらただじゃすまさない。シスターにもパパやママにも言いつけて、幼稚園に来られなくしてやるからな。わかったか。返事は?」
三人は首をすくめ、今にも泣き出しそうな声で「はい」と声をそろえた。
仕上げにサングラスを外すし、

「これからは、ずっと見張ってるからな。この顔、よく覚えとけ」
完璧なフィニッシュだった。

それからというもの、私は幼稚園に行くたび義経一派に鋭い視線を飛ばした。彼らは私を見ると、目をそらし、やけに行儀よく振舞った。
しばらくして娘に聞いた。

「義経君たち、まだ意地悪する?」
「ううん。もうそばに来なくなったよ。すべり台、もう一回すべってくるね」
そう言って、娘は嬉しそうに駆けていった。

母が体を張って娘を守ったのは、後にも先にもこの一度きり。娘が大きくなるにつれ三流役者の出番はなくなった。

守るとは、前に立つことだと思っていたが、本当は少しずつ後ろに下がりながら、それでも目を離さないことなのかもしれない。あの時のサングラスは、まだ捨てていない。

※パワハラという言葉も、モンスターペアレントも、クレーマー

もまだ登場していない、長閑に暮らせた頃の話です。

 

 

 

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あんこ党

「洋菓子と和菓子、どちらが好き?」と聞かれたら、私は瞬時に答えます。
「和菓子です!」
なぜなら、私は筋金入りのあんこ党だからです。クリスマスのケーキに心が揺れることはあっても、最終的に帰る場所はいつだってあんこなのです。

私の一年は、あんことともに巡っていきます。と言うと、少し大げさですが、まあ、そんな感じです。

春は二月、まだ寒さの残る頃。近所の和菓子屋さんに鶯餅が並ぶと、嬉しくてすぐ買ってしまいます。
薄くて柔らかな餅が、上品な甘さのこしあんをやんわり包み込み、その上から黄緑色のきな粉がふんわり。ひと口食べれば、三位一体の味が口の中でとろけ出し、これはもう、「ホーホケキョウ!」
まるで森の中で初音を聞いた気分です。

でも鶯餅には、一つだけ難点があります。きな粉が必ずこぼれるのです。これを見逃さなかったのが俳人の山口青邨先生。
「うつくしき人鴬餅の黄粉こぼす」って詠まれています。
……青邨先生、うつくしくても、うつくしくなくても、こぼれるものはこぼれます。鶯餅の宿命なのですから。

 

桜が咲けば、いよいよ桜餅。

 

塩漬けの桜の葉に包まれた、ほんのり桜色の餅で、中にはまろやかなこしあん。葉の香り、甘さ、塩気が絶妙に溶け合い、春の浮き立つ気分をさらに盛り上げてくれます。道明寺か長命寺かと問われれば、私は迷わず長命寺派

またまた青邨先生の句に、
「美しき人美しく老い桜餅」
と、いうのがあります。桜餅を味わう美しい老婦人の姿に、春を慈しむ奥ゆかしさが重なり、先生が思わず見惚れてしまったという句なのでしょうか。

試しにこの句の「桜餅」を「豆大福」や「栗最中」に置き換えてみると……あれ? 美しい老婦人が消えました!
これぞ、桜餅が桜餅たる所以。春を代表する和菓子の実力です。

初夏、ゴールデンウィークが近づくと柏餅の出番となります。
端午の節句に欠かせない柏餅は、厚みのある餅があんこをがっしり取り込んで丸められ、さらにそれを柏の葉で巻いた存在感のある和菓子です。つぶあんも、こしあんもありますが、私のお気に入りは、蓬を練りこんだ餅と粒あんの組み合わせです。これがサイコーです。

柏の葉には保湿性や殺菌作用があり、餅を守る優秀な名脇役です。食べ終わればただのお飾りとして忘れられがちですが、山口誓子の句に、
「葉脈の美よ柏餅食べ終わる」
とあり、葉脈の美しさまで味わい尽くすべし! と教えられました。

 

夏が来れば冷たい水羊羹です。これはもちろん、こしあん一択!

夏バテでぐったりしていても、水羊羹をひと口食べれば、細胞が「生き返った!」とはしゃぎ出します。葛桜、水饅頭も仲間入りして、夏のあんこ一族は天下無双です。

 

 

夏が往き、秋が訪れるとおはぎの季節到来です。正岡子規も

「餅の名や秋の彼岸は萩にこそ」
と、詠みました。
おはぎの場合は、つぶあんもこしあんも私は分け隔てなく愛しますが、最高峰はあの京都「仙太郎」のおはぎです。なめらかなこしあんを青じそ入りのもち米に閉じ込め、それに黒豆の香ばしいきなこをまぶした逸品。どの支店でも行列ができるのが納得の「うっとりおはぎ」です。

 

 

冬は何と言ってもお汁粉です。焼いた餅につぶあんの汁がたっぷり注がれた田舎汁粉に惹かれます。寒い日、つらい日、どんな日でも、お汁粉は温かく寄り添い、心を癒してくれます・・・たぶんお汁粉は親友でしょう。

 

 

 

 最後はおまけのたい焼きです。女流俳人の飯島晴子の句に
「鯛焼の頭は君にわれは尾を」があります。

熱々のたい焼きを半分こして、いつもあんこの多い頭を渡してくれたのは、亡きご主人。この句に胸がじんわり温かくなります。
……そうなると、無性にたい焼きが食べたくなります。しっぽまであんこがぎっしりで、表面がパリパリなのが私の好みです。

 

 

こうして私の一年はあんことともに過ぎていきます。ここでお伝えしておきますが、私は季節の和菓子だけでなく、豆大福、饅頭、きんつば、最中、どら焼き、羊羹等の定番の和菓子も全て好物です。

私に生涯生きる喜びを与え続けてくれる強い味方、それがあんこなのです。

 

 

 

 

 

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年始のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

堀内法律事務所は1月5日(月)より業務を開始しております。

本年も何卒よろしくお願い致します。

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年末年始休業のお知らせ

早いもので今年も残りわずかとなりました。

当事務所では下記の期間を年末年始休業とさせていただきます。

年内最終営業日:2025年12月26日(金)
年末年始休業 :2025年12月27日(土)より2026年1月4日(日)まで

新年は1月5日(月)より平常どおり業務を開始いたします。

くれぐれもご自愛のうえ、よいお年をお迎えください。

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習うより……

小さい頃から私は字を書くのが下手だった。

「こんなに下手なのは、左利きなのを無理やり右利きにしたからかしら……」

と、母は私の字を見るたびにため息をついた。

見兼ねた父が、私を書道塾へ連れていった。小雨の降る日曜日だった。

 

古びた家の、二間続きの和室が教室だった。細長い座り机が中央を開けて、左

右に前後六台ずつ並べてあり、一年生から六年生までの見知らぬ小学生が黙々

と字を書いていた。それは時代劇で見る「寺子屋」の光景にそっくりだった。

前方の床の間の近くに、大きな机が置かれ、厳めしい顔をした老人が、子供た

ちの書いた字に朱を入れていた。その厳めしい顔の老人が、厳めしい表情のまま、

「最初だからね、これをお手本にしなさい」と、「一」と「山」と「川」の字を

書いて渡した。四年生の私に。

 

部屋中に立ち込める墨の臭い、見知らぬわらしたち、古臭いじいさん先生、何

もかも馴染めなかった。寺小屋なんて真っ平だった。

 

「書道塾にはいかない! 何で字を習わなきゃならないの」

「きれいな字が書けるようになるためだよ。字がきれいじゃないと、大人になっ

て苦労するよ」父がなだめるように言った。

「それなら大丈夫だよ。お父さん。大人になったら手も大人になるんだよ。大人

の手で書くんだから、字だってちゃんとした大人の字になるもん!」

父は私の顔をまじまじと見つめ、大きくため息をついた。

 

時が流れ私は大人になった。手も確かに大人になった。だが当然私の字に変化

は起きなかった。

 

大学生のとき、世話になった叔母にお菓子に礼状を添えて送った。連絡がない

ので電話を入れると、叔父が出た。

「今ね、海外旅行に行ってんだよ。ああ、お菓子ね。届いたよ。ありがとう。帰

ったら電話させるよ」

そう言って一旦電話を切ろうとしたが、何やら言い忘れたことがあるのか、

一段と声を上げた。

「それにしてもあんたの字はひどいねぇ~。久しぶりにあんな下手くそな字を見たよ。アハッハッ」

前から虫の好かない叔父だったが、この瞬間決定的に嫌いになった。

 

やっぱり書道塾に通えばよかったのだろうか、父の言葉が蘇えり、初めて悔や

まれた。このときから私は字を書くのが苦痛になっていった。

そんな折一人の男性が現れた。彼は恐ろしく字が上手だった。

「字なんて習えばうまくなるもんではないよ。生まれつきのセンスっていうか、

まあ、遺伝的なものが大きいね」

その言葉に、紛れもなく私は母の娘であったことを実感した。母の字も子供の

頃にはわからなかったが、大人になってから見ると、下手としか言いようがない

ものだった。

母の遺伝子を受け継ぎながら、更に左利きから右利きに矯正させられたのだ。

これで字がうまく書けるはずがない。下手なのは私のせいではない。運命だった

のだ。そう思うと気持ちが晴れてきた。

 

誰が運命に逆らえようか。私は恐ろしく字の上手なその男性と結婚した。母が

達筆な父と結婚していたように。そして自分に無いものを補い合うのが夫婦な

のだと知った。

 

かつて父が回覧板のサインから、娘の通信簿の記入まで代筆をしていたよう

に、我が夫も祝儀袋の名入れから国勢調査の記入まで、必要とあれば何でも私に

代わって書いてくれる。

 

せっせと妻の代筆をする夫たちの違いを述べるなら、父は母のおねだりに弱

く、夫は私のおだてに弱い。見方を変えると、字は下手だが、母は甘え上手で、

私は褒め上手ということになる。

 

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夏季休業のお知らせ

当事務所は、2025年8月12日(火)より8月15日(金)まで
夏季休業とさせていただきます。
8月18日(月)より平常どおり業務を開始いたします。
連日暑い日が続きますが、ご体調を崩されませんようご自愛くださいませ。

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グルメ 〜赤坂 維新號 本店〜

初夏の候、皆様いかがお過ごしでしょうか。

本日は久しぶりに「グルメ」をご紹介したいと思います!

今回訪れたのはこちら。永田町駅から徒歩7分の場所にある 「赤坂 維新號 本店」 です。

維新號はホテルニューオータニのすぐ近くにあります。大きな窓から見える景色を眺めながら美味しいお食事を楽しむことができます。都心とは思えないほどゆったりとした時間を過ごすことができます。

スタッフがいただいたのはこちらの飲茶セットです。

蒸し点心や揚げ点心がとても美味しく、思わずほっぺたが落ちそうでした(^^)

この日はスタッフ2名が炒飯を、1名が五目焼きそばを注文。

サラダや点心ですでに満腹気味でしたが、どれも美味しくて、ペロリと完食してしまいました。

 

そして、最後は抹茶プリンで締めくくり。

お茶とお喋りを楽しみながらいただく抹茶プリンは、格別の美味しさでした。

どのお料理もとても美味しく、大満足のランチとなりました。

ごちそうさまでした!

美味しいお食事でエネルギーをチャージできたおかげで、このあとの仕事にも集中して取り組むことができました。

お近くにお越しの際は、ぜひ足を運んでみてくださいね。

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雪国富山の春

雪国富山の春
                

 10歳の時に(昭和32年頃)富山で1年間暮らした宮本輝は、自伝エッセイで、富山の雪を「鉛色の雪」と表現しているが、富山生まれの私は言い得て妙だと感心する。昭和30年代当時の冬の日々を思い出すと、重い雪の檻に閉じ込められているようだった。
だが、そんな雪国でも季節は巡る。眩い光が厚い雲を蹴散らし、鉛色を溶かすと、雪を頂いた紺碧の立山連峰が全貌を現す。富山の春の始まりである。
幼かった頃、春が来てまず嬉しかったのはスカートがはけることだった。冬はズボンしかはかせてもらえなかったので、スカートの裾がひらひらと揺れるのが嬉しくてならなかった。

次に嬉しかったのは、冬期休業をしていた紙芝居屋さんの商売再開だった。カチカチという拍子木の音が聞こえだすと、近所中の子供たちが10円玉や5円玉を握りしめて、田んぼの中の公園に走った。公園といっても空き地に滑り台とブランコがあるだけだったが、その中央に紙芝居屋さんの自転車が止まっていた。見物料の10円を払うと、おじさんが名刺より少し小さいサイズの羅臼昆布をくれた。それをしゃぶリながら紙芝居を楽しむのである。何と健康的なおやつであったこと! 
昆布は10円と5円の二種類があり、5円の子はハーフサイズの昆布をもらい、10円の子の後ろで見なければならなかった。だから5円のときは悲しかった。私のお気に入りは、『赤胴鈴之助』だった。

嬉しいことはまだまだあった。土手にはよもぎが所狭しと生えていた。よもぎを籠いっぱいに摘んで母に渡すと、よもぎ餅を作ってくれた。あんこがずっしり入ったよもぎ餅は春のご馳走だった。

生のほたるいかと白エビのかき揚げで一杯やるのも富山県人の春の楽しみではあるが、それがわかるのはまだだいぶ先のことであった。

春といえば何といっても桜、そして桜といえばお花見だ。お花見は家族だけで行くのではなく、まるで落語の「長屋の花見」のように町内全員で出かけた。桜の名所で茣蓙を引いて、満開の桜を見ながらみんなで食べるお弁当の、黒とろろ昆布のおにぎりは忘れられない。行楽時でも、遠足でも、運動会でも、おにぎりは海苔ではなく、黒とろろ昆布というのが富山の特徴だ。

この他にも蒲鉾や餅にも使って、富山県人はせっせと昆布を食している。しかし昆布は富山産ではない。これが不思議でちょっと調べてみた。 

時代は江戸時代の半ばに遡る。その頃日本海で船を使った交易が盛んとなり、北前船と呼ばれる船が大阪と蝦夷地の間を往来していた。富山の港はその寄港地の一つで、ここで米や酒や薬などを仕入れつつ、昆布を売りさばいた。それが大量だったので、富山藩全域にもたらされるようになったという。

さらに明治時代になると、多くの人々が富山から北海道に開拓民として移住し、昆布漁に従事して、大量の昆布を故郷に送り続けた。北前船と開拓民たちによって、富山に昆布の食文化が形成され、その消費量が全国1位の輝かしい記録を、今もなお継続しているという訳である。

 話がすっかりそれてしまったが、春の喜びのフィナーレは「チンドンコンクール」だった。

あの当時、町に新しい店が開店すると、チンドン屋さんと呼ばれる広告宣伝業の音楽隊が、派手な身なりで三味線や鉦、クラリネットなどを鳴らし、店のビラを配りながら町中を練り歩いた。その独特な演奏が聞こえてくると私は後を追いかけたいほどウキウキした。

何故か知らないが、富山はチンドン屋さんのメッカで、そのコンクールが年に一度、富山で行われていた。桜が開花する4月、日本全国から集まったチンドン屋さんが市内の目抜き通りをコンクール会場の城址公園までパレードするのだ。それぞれが普段以上に目を引く衣装を身に纏い、思い思いのパフォーマンスを繰り広げながら進んで行くのを、子供も大人も久しぶりの大笑いで楽しんだ。冬の名残の閉塞感を一気に吹き飛ばすような笑いだった。(これは2025年の現在でも続いている)

昔の春の楽しみを徒然に綴ってみたが、何とささやかなことか。暖冬となり、もう富山は厳しい雪国ではなくなった。現代の県民の人たちにはわかってもらえないかもしれないが、長い冬から解放され、春を迎えられたというだけで感じる高揚感を、私は今でも春になると思い出すのである。

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