当事務所は、2024年8月13日(火)より8月16日(金)まで
夏季休業とさせていただきます。
8月19日(月)より平常どおり業務を開始いたします。
連日暑い日が続きますが、ご体調を崩されませんようご自愛くださいませ。
![堀内法律事務所のブログ「止まり木」にようこそ。](http://horiuchi-law.com/blog/wp-content/uploads/2016/03/blog_ttl_03a.png)
当ブログでは、事務所のスタッフ(+α)が、身近な四季の風景や、思い出の風景、
おすすめの本の紹介などを綴りながら、
ここでちょっと羽休めをしております。
お時間がおありでしたら、止まっていってください。
夏季休業のお知らせ
「ピロリ菌」
30歳を過ぎた頃から、私は天ぷらやとんかつ、ステーキや鰻などが食べられなくなりました。食べるとすぐに胃もたれや吐き気がし、最終的にはお腹の調子を崩してしまうのです。ご馳走とは無縁の生活になりました。
それだけではありません。極度の疲労やストレスでも胃がきりきりと痛み、夏の暑さや冬の寒さもこたえました。あの頃から、まるで胃に支配されて生きているように感じていました。
1番つらかったのは40代の終わり、父が亡くなり、1年後に母も追いかけるように亡くなった時でした。悲しみの中、葬式や様々な手続きに追われていましたが、私の胃は限界に達していました。水分以外は何も受け付けず、激しい痛みが続いていました。
心配した友人が「名医を紹介するから、絶対に行ってね」と予約してくれたので、その好意を無下にできず出かけました。赤坂にあるそのクリニックは開業したばかりのようでした。院長先生は柔和な雰囲気の若い医師でした。内視鏡検査の結果、「ピロリ菌に感染しています。除菌しましょう」と言われました。
「先生、ピロリ菌って何ですか?」
今では知られているピロリ菌ですが、平成12年当時はまだ世間に周知されていませんでした。
「胃の中に住みついている細菌です。ピロリ菌の感染が胃や十二指腸のトラブルの引き金になることが最近明らかになったんですよ」
と説明され、毎日3錠ずつ2回飲む薬を1週間分処方してくれました。
1か月後に再び胃カメラ検査を受け、ピロリ菌の除去に成功したと告げられました。
「あなたを長い間苦しめていた胃の痛みの原因はピロリ菌です。ピロリ菌が数本のしっぽを高速で回転させ、胃の中を動き回り、ドリルのように粘膜や壁を傷つけていたのです。さらに、その傷ついたところを胃酸が攻撃して、痛みが生じていたのです」
「ピロリ菌を除去できてよかったです。これで胃潰瘍や胃がんの発症リスクは大幅に下がりました。胃の炎症も徐々に治まっていくでしょう。ただ、長い間ピロリ菌にやられていたので、完治には10年ぐらいかかると思ってください。その間、定期的な検査を受けてくださいね」
と、院長先生はにっこりして言いました。その笑顔にすっかり治ったような気分になりました。
果たして10年後、まだ胃腸薬は手放せなかったものの、胃を気にせず過ごす日々が確実に増えていました。そしてさらに10年後の今では、薬は不要となり、かつて食べられなかったものが全て食べられるようになりました。天ぷらはサクサクの揚げたてを塩で食べたい。とんかつは脂身のあるロースの方が美味しい。ステーキはミディアムレアで、鰻は柔らかい関東風で、たれは甘めがいい。
暑さ寒さには未だに弱く、ストレスも上手く跳ね除けられず、胃が重くなることがありますが、それでも美味しいものが食べられるようになったので少々の不調は気にならなくなりました。そんな自分に驚きつつも、友人と院長先生には感謝せずにはいられません。
もしあの時、ピロリ菌を駆除しなかったら今頃どうなっていたでしょうか? 明治の文豪夏目漱石のことが頭に浮かびます。漱石が好きだったのは、作品もさることながら、彼が胃痛に悩まされながら小説を書いていたことを知り、同じ持病を持つ者として共感と同情を感じずにはいられなかったからかもしれません。
現代の胃腸病の専門医たちは、漱石の胃潰瘍はピロリ菌の感染が素因だろうと言っています。ピロリ菌の感染経路は、主に免疫力が弱い幼少期までの水質環境の悪さや、家族からの食事の口移しなどが原因と考えられています。乳幼児は胃酸の酸度や分泌量が低いため、ピロリ菌は容易に侵入し、胃粘膜に住みついて10数年かけて粘膜を損傷させるのです。そのため、多くの場合、40代から50代で胃の炎症が悪化するそうです。
漱石のピロリ菌は、彼が43歳で『門』を書き終えた頃から暴れ出し、胃潰瘍を発症させ、それからずっと彼を苦しめ続けました。大正5年、49歳で『明暗』を執筆していた途中に胃潰瘍からの大量出血による失血死で漱石は短い生涯を閉じました。
私は院長先生のおかげでピロリ菌の治療ができましたが、漱石の時代にはピロリ菌が発見されておらず、胃潰瘍の治療には「コンニャク療法」なる荒療治が行われていました。その方法は、熱したコンニャクを布で包み、それを患者のお腹の上に置き、ひっきりなしに取り替え続けるというものでした。漱石は明治43年の7月1日から2週間その治療を受けました。腹部の皮膚は低温火傷で水ぶくれになり、激痛だったようです。「痛い事夥し」と日記に書いています。水ぶくれは効果がある証拠とされたようです。この治療の目的が何なのか、私にはわかりませんが、拷問のようにしか思えません。漱石はさぞ苦しかったことでしょう。このような恐ろしい療法では治るどころかストレスでいっそう悪化するのではないかと思われました。
漱石は生前「死ぬときは苦しみに苦しみ、『こんなことなら生きているより死んだほうがよい』と納得してから死にたい」と言ったそうですが、どんなに辛かったのだろうと胸が痛みます。現代なら、これほどつらい思いをしなくても胃潰瘍は除菌治療で治り、再発することもなく、ましてや49歳という早すぎる年齢で亡くなることもなかったでしょう。
テーマ「治る」
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ヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌)
千鳥ヶ淵の桜並木から半蔵門園地へ
春爛漫の時期を迎えましたが、みなさま如何お過ごしでしょうか。
今年は例年よりも開花が遅れたことに加え、なかなかお日様が顔を出してくれない日が続いていましたが、今日は久しぶりに日差しが戻ってくるということで、事務所最寄りの半蔵門駅から一駅手前の九段下で下車し、千鳥ヶ淵の桜並木を見上げながら出勤しました。
九段下駅2番出口から地上に出てみると、すぐ左手に北の丸公園の桜の木々が堂々と咲き誇っていました。雲一つない青空、新緑、松葉、そして満開の桜。色鮮やかな景色に、思わず足を止め見とれてしまいました。
緑道を歩いていると、朝の澄んだ空気の中、春の日差しが水面で煌めく様子がとても美しく、心が洗われるようです。ふと気がづくと、カメラのレンズ越しに会社員らしきスーツ姿の人が。「あの人も今日は歩いて出勤することにしたのかな」と勝手に親近感が湧いたりして、より一層足取りが軽くなりました。
千鳥ヶ淵といえば、ボートを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。乗り場には、営業時間30分前にして20メートル以上にも及ぶ行列が!人気の高さに驚きつつも視線をやや下の方にずらすと、ステージ袖で出番を待つかのように白鳥たちがきれいに整列していて、そのコントラストが面白かったです。
十二分に桜のトンネルを堪能したところで、緑道出口の横断歩道を渡り駐日英国大使館の方へ。次なる目的地は、駐日英国大使館より返還された旧敷地を利用して作られた国民公園皇居外苑半蔵門園地です。
半蔵門園地は、2015年に駐日英国大使館敷地の5分の1にあたる約7000㎡が日本に返還されたことにより、国民公園である皇居外苑の一部として整備された公園です。
駐日英国大使館の跡地であった歴史的背景を感じられるように、植栽、石垣、腰壁やローズポール等は英国を象徴するイングリッシュガーデンを取り入れデザインされたそうです。
園内の東側には、ケンブリッジ公爵ウイリアム王子が植樹された桜「太白」を中心にベンチやテラスが設置されているので、ちょっとした休憩スペースとして利用することもできますし、西側にある芝生広場では、楽しそうに犬と遊んでいる人の姿も見受けられました。
公園内には当時の外壁の一部が保存されており、この土地の辿ってきた歴史にも思いを馳せることができます。
九段下駅から事務所まで約2㎞。軽い運動にはちょうどいい距離です。
事務所にいらっしゃる際には足を運ばれてみてはいかがでしょうか。
祖母の想い出
祖母の想い出
西日の差し込む祖母の部屋はいつも線香の匂いがたちこめていた。四歳のとき弟が生まれたので、私は祖母と寝起きを共にすることになった。
祖母は熱心な仏教徒だった。朝晩、唐木仏壇を開いて香炉に線香を立て、長いお経を唱えた。祖母の年齢にしてはびっくりするほど張りのある声だった。その独特なリズムと最後にリン棒でおりんをチーンと鳴らすのが面白くて、見とれているうちに私はいつしか空でお経が言えるようになった。
「おばあちゃんがいない間、仏様のお守りを頼んだよ」
月に一回、祖母は泊りがけでお寺の本堂で行われる講和を聞きに行く。そこで親しい友人たちに会えるのも楽しみだったのだろう、髪をきちんと結い上げて、一番上等な着物を着て、うきうきと出かけて行った。毎回その姿を見ながら、お寺というところはよほど楽しいところに違いないと私は思っていた。
留守の間祖母がしていたとおり、花立ての水を取り換え、線香を立てて、私は全く意味がわからないお経を祖母の声を真似て、唸るように唱えた。最後に鳴らすおりんだけは祖母と違って何回も鳴らした。
母は感心して「いい子だね」と褒めてくれた。日ごろ祖母と母の仲がしっくりいっていないのを子供ながらに感じていた私は、祖母が帰ってきたとき、その話題できっと母と意気投合するだろうと嬉しくてならなかった。
「お母ちゃんに内緒だよ」
お寺から帰った祖母は、二人になると巾着袋から紙に包んだお菓子を取り出し、「お勤めありがとう」と言ってにこにこしながら渡してくれた。少し線香の匂いがした。
祖母は孫たちが良い子に育つように願っていたのだろう。だからことあるごとに「悪いことをすると罰があたるよ」とか「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるからね」と、ほぼ脅かしに近い言葉を口にしていた。それは祖母なりの宗教教育だったのかもしれない。私は祖母が大好きで、尊敬もしていたので、祖母の言うことは全て正しいと信じていた。
特に土地柄が米どころだったのでお米に関しては厳しかった。
「お米はね、お百姓さんが八十八回腰を曲げて作られるものなんだよ。だからごはんは一粒たりとも無駄にしてはいけないよ。無駄にしたら罰があたって目が見えなくなるからね」と、耳にたこができるほど聞かされていた。
ところがある日、お手伝いで仏壇のごはんを台所に運んだとき、私は誤って流しにこぼしてしまった。無情にもごはんは流しの排水口からあっという間に流れて行った。
「目が見えなくなる!」
恐怖で体がこわばった。不安で、不安でいられなくなった。私は一日中めそめそしながら過ごし、おなかも空かなかった。普段と様子が違う私を見て、夜に帰宅した父がどうしたのと話しかけた。私は震えながら恐ろしい失敗を父にこっそり打ち明けた。
「そうか、それは大変だったね。でも大丈夫だよ。罰は当たらないし、目が見えなくなることは絶対にないから安心して寝なさい」と、父は笑いながら言った。どうしてこんな時に父が笑うのか疑問だったが、なんだかほっとして私は眠りについた。
しかし、まだ不安が続いていたのか、私は真夜中に目が覚めてしまった。昭和二十年代の北陸の田舎では夜は漆黒の闇だった。
「ああ! 見えない!」私は悲鳴を上げた。その声で隣で寝ていた祖母が飛び起きて。「どうしたの」と、おろおろしながら言った。
「やっぱり罰があたったんだよ……」私はそう言って悲しくて大声で泣いた。それを聞いて父がすぐ飛んできて部屋の電気を点けた。
「あっ! 見える」と思ったが、恐怖の衝撃が治まらず、私は父にしがみついて泣きじゃくった。
「あのね、また言うけど、罰なんか当たらないし、目が見えなくなることはないよ。それはね、おばあちゃんが子供たちにお米を大切にしてほしくて言った嘘だったんだよ。だからもう心配しなくていいよ」
と、父が優しく言ってくれたが、私は更なる衝撃に襲われた。
おばあちゃんが嘘をついた!
私は振り返って祖母を睨んだ。そして「閻魔様に舌を抜かれるからね!」と、心の中で叫んだ。
かくして私の祖母への尊敬は崩れ去った。おばあちゃんの言うことなんか信じない。私は心に固く誓った。
とはいっても子供だったので、ぐっすり眠った後は、やっぱり祖母のことは大好きだった。祖母はそれ以来お米については何も言わなくなった。
年始のご挨拶
新年あけましておめでとうございます。
堀内法律事務所は本日(1月5日(金))より業務を開始しております。
本年も何卒よろしくお願い致します。
年末年始休業のお知らせ
2023年も残すところわずかとなりました。
当事務所では下記の期間を年末年始休業とさせていただきます。
年内最終営業日:2023年12月29日(木)
年末年始休業 :2023年12月30日(金)より2024年1月4日(木)まで
新年は1月5日(金)より平常どおり業務を開始いたします。
くれぐれもご自愛のうえ、よいお年をお迎えください。
永遠のスター
今も国民的人気を博している歌手で俳優の加山雄三さまがまだ若かった頃、日本中の女性たちが彼を愛していました。かくいう私もその一人で、若大将シリーズの映画もせっせと観に行きましたし、歌も大好きで、レコードは発売と同時に買っていました。彼は海だけでなく、星も似合っていました。ヒット曲の歌詞には必ず星が出てきます。参考までに例を挙げると下記の通りです。
夜空を仰いで数える星も君のいない
砂浜は淋しいぜ
「夜空を仰いで」
たった一人の日暮れに見上げる空の
星くず僕と君のふたつの愛が風にふ
るえて光っているぜ
「蒼い星くず」
僕の行く所へついておいでよ
夜空にはあんなに星が光る
「夜空の星」
君のひとみは星とかがやき
恋するこの胸は炎と燃えている
「君といつまでも」
波も夢をみてる星の夜は
僕にゆれる君のささやき
「お嫁においで」
等々です。
彼の歌を聴きながら一緒に星空を眺めたいと思ったり、星空の下をどこまでも二人で歩きたいと願ったり、星の輝く夜にお嫁に行ってあげてもいいわと思ったり、ロマンチックな気分に浸っていました。ですから星空といえば雄三さま、雄三さまといえば星空だったのです。このイメージは私の中でかなり長く固定していました。
しかしそれが変わる時がやって来ました。私は沖縄に旅行したのです。JTBの担当者が沖縄を満喫したいなら離島に行くのが一番と宮古島を薦めてくれました。当時の宮古島はまだ観光化されていなくて、手付かずの大自然がそこにありました。
眼前に広がるエメラルド色の海と白い砂浜。エメラルド色の海なんてそれまで見たこともありませんでした。海水浴をしても人が少なく、芋の子を洗うようなあの混雑はどこにもありませんでした。グラスボートで海底を見ると、海水が澄んでいるので、熱帯魚のような魚たちや白いサンゴ礁が見られました。
早めに夕食を済まして浜辺で見る夕暮れは圧倒的でした。空という空を、海という海を真っ赤に染めながら途轍もなく大きな夕陽がゆったりと沈んでいきました。その壮大な眺望は今まさに、太陽神のアポロンが黄金の馬車に乗って天空を駆け抜け、水平線の彼方に消えていったと、本気で思えてくるものでした。
宮古島に来てよかったとしみじみ思いましたが、大自然の驚異はまだ続きました。夜中にふと目が覚めて、私はバルコニーに出て夜空を見上げました。次の瞬間、私は固まってしまいました。「満点の星」という表現ではすませられない夥しい数の星がびっちりと、隙間なく、空を埋め尽くしていたのです。その光景は星空というより、宇宙を感じさせました。宇宙では地球もこの無数の星の一つです。そして人類が住んでいる唯一の星です。その星に自分が住んでいて、今宇宙を眺めている。何と不思議で神秘的なこと。そんなことを思わせられながら、美しいとかロマンチックなどではなく、畏怖の念を抱いて私は立ち尽くしていました。本当の星空とはこういうものなのだと知った時から雄三さまの星空はどこかに消えてしまいました。
本年御年八十六歳を迎えた雄三さまは、コンサート活動はやめましたが、まだまだ活躍されています。かつて青春の1ページを飾ってくれた彼に心から感謝していますし、前向きな生き方も健康的なあの笑顔もいまだに大好きです。これからもずっとずっと輝いていてほしいと元フアンの、否、今もフアンの私は願っています。
![](http://horiuchi-law.com/blog/wp-content/uploads/2023/11/加山雄三DVD-300x280.jpg)
若大将の懐かしのDVDです。
季節は秋~芸術と味覚~
空が高く澄みわたり、木々が色づき始める季節となりました。
皆さまいかがお過ごしでしょうか。
先日、東京国立近代美術館にて開催中の
『生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」に足を運んで参りました。
「世界のムナカタ」として国際的な評価を得ている版画家・棟方志功。
一心不乱に版木に向かう棟方の姿をご記憶されている方も多いのでは
ないでしょうか。
![](http://horiuchi-law.com/blog/wp-content/uploads/2023/10/作品 倭建命-300x243.jpg)
《倭建命》
展示作品の中には、色彩豊かな版画や版画以外の作品も数多くあり、
溢れ出る才能を肌で感じることができました。
![](http://horiuchi-law.com/blog/wp-content/uploads/2023/10/絵葉書1(孤狼).jpg)
《孤狼》
![](http://horiuchi-law.com/blog/wp-content/uploads/2023/10/絵葉書2(ホイットマン詩集).jpg)
《ホイットマン詩集》
![](http://horiuchi-law.com/blog/wp-content/uploads/2023/10/絵葉書3 弁財天妃).jpg)
《弁財天妃》
さて、国立近代美術館には素敵なレストランもございます。
「芸術は味覚と併せて堪能するとよい」ということで、
L’ART ET MIKUNI にてランチも致しました。
お堀に面している大きな窓から、青い空と木々を見渡せました。
棟方の迫り来る作品の数々を鑑賞した後にはほっとひといき。
心落ち着く贅沢なひとときを過ごせました。
棟方志功展は10月6日(金)~12月3日(日)です。
皆さまもいかがでしょうか(阿佐ヶ谷姉妹の音声ガイドもお勧めでございます)。
麹町グルメ~甘味おかめ~
彼岸花が見ごろを迎え、秋風が心地よく感じられる時節となりました。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
本日は、久しぶりに麹町グルメをご紹介したいと思います!
今回訪れたのはこちら。半蔵門駅から徒歩3分ほどのところにある「甘味おかめ」です。
お堀の近くにある甘味おかめ麹町店では、民芸品に囲まれながら、都心とは思えないほどゆったりとした時間を過ごすことができます。
おかめといえば、なんといっても“おはぎ”。
注文してから一つ一つ手作りされているそうで、口にいれるとほんのり温かく、ふわっと柔らか。一般的なおはぎに比べるとやや大きめですが、甘さ控えめの上品な味で、ペロッと食べてしまいました。
つぶ餡の他に、きなこ、胡麻、春には期間限定で“さくら”もあるようで、1個300円でテイクアウトもできるそうです。ちょっとしたお土産にいかがでしょうか。
お食事メニューも豊富で、出汁がしっかり染み込んだ“おでん”も絶品です。
大根、こんぶ、はんぺん、ちくわ、ごぼう巻き・・・一口食べるごとにじんわりと染み込んでいく懐かしい味。たまりません!
9月~12月には、手むき栗を使用した季節限定メニューも用意されています。
こちらは、手むき栗の茶めし弁当。砂糖と水だけで煮た栗の中から綺麗な形のものを厳選し茶めしの上にのせた贅沢な一品です。
この他にも、手むき栗ぜんざい、田舎しるこ、クリームあんみつに、玉子ぞうに…。餡子好き・和食好きにはたまらないラインナップに、これから食欲の秋を満喫しなくては!と決意あらたにランチを終え、事務所へと戻ってきました。
お近くにお立ち寄りの際には是非足を運んでみてください(^^)