堀内法律事務所のブログ「止まり木」にようこそ。

当ブログでは、事務所のスタッフ(+α)が、身近な四季の風景や、思い出の風景、 おすすめの本の紹介などを綴りながら、 ここでちょっと羽休めをしております。

お時間がおありでしたら、止まっていってください。

年始のご挨拶

 

 

 

 

 

新年あけましておめでとうございます。

堀内法律事務所は本日(1月6日(月))より業務を開始しております。

本年も何卒よろしくお願い致します。

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年末年始休業のお知らせ

早いもので今年も残りわずかとなりました。

当事務所では下記の期間を年末年始休業とさせていただきます。

年内最終営業日:2024年12月27日(金)
年末年始休業 :2024年12月28日(土)より2025年1月5日(日)まで

新年は1月6日(月)より平常どおり業務を開始いたします。

くれぐれもご自愛のうえ、よいお年をお迎えください。

Common kingfisher perched on a snow in winter, UK.

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きみちゃんのお弁当

三越の包装紙に包まれたアルミのお弁当箱を開けると、ふっくらとした白いご飯の横に分厚い卵焼き、塩鮭、赤い煮豆、そしてシャキッとした白菜のおしんこが並んでいる。これを作ってくれたのは、「きみちゃん」と呼ばれていたお手伝いさんだった。

時代は昭和四十年代。私は高校一年生だった。その年、父の三度目の転勤が急に決まり、学期半ばで一人仙台に残ることになった。私を二ヶ月間預かってくれたのは、父の知人で小さな会社を営む佐藤辰蔵さん一家だった。洋風の古びた家に、佐藤さん夫婦と、私と同じ高校に通う一年先輩の瑠美子さん、小学生の憲太君、そして月曜から金曜まで住み込みの「きみちゃん」が暮らしていた。

きみちゃんは無口で、日焼けした肌に白髪混じりの長い髪を後ろで束ね、黙々と働いていた。料理好きで、気づくといつも台所に立っていた。時々思い出し笑いでもしているのか、一人でにやにや笑っていることがあったが、笑うとどっきりするほど老けて見えた。剥き出しになった上の歯茎に一本も歯がなかったからだ。

さて、そんなきみちゃんの二日目のお弁当は、卵焼き、塩鮭、煮豆、白菜のおしんこ…まさかの前日と全く同じメニューだった。私は驚きすぎて、すぐには食べる気になれなかった。

さすがに三日目も同じなんてことはないだろうと思ったが、学校に着くや否やお弁当箱を開けてみた。手渡してくれたとき、心なしかきみちゃんがにやりと笑ったように思えたのだ。案の定、レギュラーの四品が定位置に並んでいた。

「三日も同じなんてあり得ない!」と心の中で叫んで、私はお弁当を机の奥へと押し込んだ。
なぜ料理上手なきみちゃんがこんなことをするのだろう。売店で買ったパンをかじりながら私は思いを巡らせた。そんな中、ふと気づいたことがあった。佐藤家に来た最初の日、こまっしゃくれた憲太君がいきなり「きみちゃんは何歳だと思う?」と聞いてきたのだ。化粧もせず、萎びた乾燥芋のようなきみちゃんの年齢なんて、正直見当もつかなかった。
「もう八十歳なんだよ」
憲太君はニヤニヤしながら言った。お茶を注いでいたきみちゃんも、どこか面白そうに聞いていた。驚いた私はつい、
「嘘でしょ! もっと若いよね」
「六十歳ぐらい?」
と、口走ってしまったが、これが運の尽きだった。

後で聞いた話では、きみちゃんの実際の年齢は四十代後半だったらしい。その時、きみちゃんの顔が引きつり、周囲の空気が一瞬で凍りづいたのをはっきり思い出した。彼女の目がギラリと私を睨んだのも。

四日目のお弁当はもはや開けてみるまでもなかった。これは明らかに仕返しだとわかったからだ。

帰り道、広瀬川にお弁当の中身をそっと流しながら、私は「いかなる場合でも、女性に年齢のことを言うのは絶対に避けるべきだ」という人生の教訓を得た。

家に戻り、小さな声できみちゃんに「お弁当はもういりません」と告げると、彼女は歯茎をむき出しにして、勝ち誇ったようにニヤリと笑った。

それから一年後、驚くべきニュースが舞い込んできた。きみちゃんは、佐藤家以外にも週末に通いで行っていたT大学の教授と結婚し、なんと教授夫人になったというのだ。純情な高校生だった私には怪奇現象としか思えなかった。

(写真は本文とは関係ありません)

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麹町グルメ~村上開新堂レストラン~

長かった夏が終わり、実り多き秋が深まってまいりました。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

久しぶりの麹町グルメ、今回は千代田区一番町にある村上開新堂レストランを訪れました。

村上開新堂は、「日本で初めての日本人による洋菓子専門店」として1870年(明治3年)に創業し、日本の洋菓子の草分けとして歴代当主が創意工夫を重ねながら国内外多くの人々の舌を楽しませてきました。
1965年には四代目村上寿美子さんがフランス料理のレストランをオープン。以来、「友人の家に招かれたような」をコンセプトに、旬の食材を使いながら日本人の口に合ったフランス料理を提供なさっているそうです。

さて、ここからは事務所の“女子”会で頂いたお料理をお写真とともにご紹介いたします(^^)

前菜は、「冷製茄子のオリーブオイル焼き」または「カワハギと焼カブの肝入ハーブ和え」のうち、カワハギとカブのお料理をご紹介。
秋のカブは甘みが強いのが特徴とのこと、カワハギの肝の苦みとのハーモニーが絶妙で、なめらかなカブのムースを添えていただくとさらに美味しい一品でした。

カワハギと焼きカブの肝入ハーブ和え
カブのムース添え

スープには、南瓜そのものの味を存分に味わえるポタージュをいただきました。
ほのかに甘いアーモンドの泡がより一層南瓜の甘みを際立たせていました。

南瓜のポタージュ

おまちかねの主菜は、5種類の魚・肉料理の中から選択できたのですが、女子会メンバー全員が迷うことなく肉料理を選びました(笑)
特に「牛肉のブルギニヨン風煮込み」はレストラン創設時からのクラシックメニューの一つとのこと、是非みなさまにもお召し上がりいただきたいです。

牛肉の煮込み ブルギニョン

スペイン産ガリシア栗豚の二味仕立て

チェリーバレー鴨のロースト 
鴨と蛤のだしソース

デザートは、旬の果物を使った見た目にも可愛いお料理をそれぞれに。

さつま芋のピューレ&生クリームのシュー

ピオーネのコンポート

コースのお料理とは別に、「今月のチーズ」としてそれぞれ1種類ずつチーズをいただきました。
左上から時計回りに、ミルクの香り豊かな白カビチーズ「クロミエ」、花びらのような形で見た目も美しい「テットドモワンヌ」、穏やかな塩味になめらかな食感の青カビチーズ「ブルードラカイユ」。
どれも濃厚でとっても美味!ワイン好きにはたまらないであろう贅沢な一品でした。

今月のチーズ

お食事を楽しんだ後は、建物の一角にある五代目の山本道子さんがオープンした「山本道子の店」で焼き菓子をお土産に買って事務所に戻りました。

思い出すほどに心もお腹も満たされた素敵なレストランで、今度母の誕生日にでもランチをご馳走しようかしら、なんて思いながら筆を置きたいと思います。

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夏季休業のお知らせ

当事務所は、2024年8月13日(火)より8月16日(金)まで
夏季休業とさせていただきます。
8月19日(月)より平常どおり業務を開始いたします。
連日暑い日が続きますが、ご体調を崩されませんようご自愛くださいませ。

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「ピロリ菌」

30歳を過ぎた頃から、私は天ぷらやとんかつ、ステーキや鰻などが食べられなくなりました。食べるとすぐに胃もたれや吐き気がし、最終的にはお腹の調子を崩してしまうのです。ご馳走とは無縁の生活になりました。

それだけではありません。極度の疲労やストレスでも胃がきりきりと痛み、夏の暑さや冬の寒さもこたえました。あの頃から、まるで胃に支配されて生きているように感じていました。

1番つらかったのは40代の終わり、父が亡くなり、1年後に母も追いかけるように亡くなった時でした。悲しみの中、葬式や様々な手続きに追われていましたが、私の胃は限界に達していました。水分以外は何も受け付けず、激しい痛みが続いていました。

心配した友人が「名医を紹介するから、絶対に行ってね」と予約してくれたので、その好意を無下にできず出かけました。赤坂にあるそのクリニックは開業したばかりのようでした。院長先生は柔和な雰囲気の若い医師でした。内視鏡検査の結果、「ピロリ菌に感染しています。除菌しましょう」と言われました。

「先生、ピロリ菌って何ですか?」

今では知られているピロリ菌ですが、平成12年当時はまだ世間に周知されていませんでした。

「胃の中に住みついている細菌です。ピロリ菌の感染が胃や十二指腸のトラブルの引き金になることが最近明らかになったんですよ」

と説明され、毎日3錠ずつ2回飲む薬を1週間分処方してくれました。

1か月後に再び胃カメラ検査を受け、ピロリ菌の除去に成功したと告げられました。

「あなたを長い間苦しめていた胃の痛みの原因はピロリ菌です。ピロリ菌が数本のしっぽを高速で回転させ、胃の中を動き回り、ドリルのように粘膜や壁を傷つけていたのです。さらに、その傷ついたところを胃酸が攻撃して、痛みが生じていたのです」

「ピロリ菌を除去できてよかったです。これで胃潰瘍や胃がんの発症リスクは大幅に下がりました。胃の炎症も徐々に治まっていくでしょう。ただ、長い間ピロリ菌にやられていたので、完治には10年ぐらいかかると思ってください。その間、定期的な検査を受けてくださいね」

と、院長先生はにっこりして言いました。その笑顔にすっかり治ったような気分になりました。

果たして10年後、まだ胃腸薬は手放せなかったものの、胃を気にせず過ごす日々が確実に増えていました。そしてさらに10年後の今では、薬は不要となり、かつて食べられなかったものが全て食べられるようになりました。天ぷらはサクサクの揚げたてを塩で食べたい。とんかつは脂身のあるロースの方が美味しい。ステーキはミディアムレアで、鰻は柔らかい関東風で、たれは甘めがいい。

暑さ寒さには未だに弱く、ストレスも上手く跳ね除けられず、胃が重くなることがありますが、それでも美味しいものが食べられるようになったので少々の不調は気にならなくなりました。そんな自分に驚きつつも、友人と院長先生には感謝せずにはいられません。

もしあの時、ピロリ菌を駆除しなかったら今頃どうなっていたでしょうか? 明治の文豪夏目漱石のことが頭に浮かびます。漱石が好きだったのは、作品もさることながら、彼が胃痛に悩まされながら小説を書いていたことを知り、同じ持病を持つ者として共感と同情を感じずにはいられなかったからかもしれません。

現代の胃腸病の専門医たちは、漱石の胃潰瘍はピロリ菌の感染が素因だろうと言っています。ピロリ菌の感染経路は、主に免疫力が弱い幼少期までの水質環境の悪さや、家族からの食事の口移しなどが原因と考えられています。乳幼児は胃酸の酸度や分泌量が低いため、ピロリ菌は容易に侵入し、胃粘膜に住みついて10数年かけて粘膜を損傷させるのです。そのため、多くの場合、40代から50代で胃の炎症が悪化するそうです。

漱石のピロリ菌は、彼が43歳で『門』を書き終えた頃から暴れ出し、胃潰瘍を発症させ、それからずっと彼を苦しめ続けました。大正5年、49歳で『明暗』を執筆していた途中に胃潰瘍からの大量出血による失血死で漱石は短い生涯を閉じました。

私は院長先生のおかげでピロリ菌の治療ができましたが、漱石の時代にはピロリ菌が発見されておらず、胃潰瘍の治療には「コンニャク療法」なる荒療治が行われていました。その方法は、熱したコンニャクを布で包み、それを患者のお腹の上に置き、ひっきりなしに取り替え続けるというものでした。漱石は明治43年の7月1日から2週間その治療を受けました。腹部の皮膚は低温火傷で水ぶくれになり、激痛だったようです。「痛い事夥し」と日記に書いています。水ぶくれは効果がある証拠とされたようです。この治療の目的が何なのか、私にはわかりませんが、拷問のようにしか思えません。漱石はさぞ苦しかったことでしょう。このような恐ろしい療法では治るどころかストレスでいっそう悪化するのではないかと思われました。

漱石は生前「死ぬときは苦しみに苦しみ、『こんなことなら生きているより死んだほうがよい』と納得してから死にたい」と言ったそうですが、どんなに辛かったのだろうと胸が痛みます。現代なら、これほどつらい思いをしなくても胃潰瘍は除菌治療で治り、再発することもなく、ましてや49歳という早すぎる年齢で亡くなることもなかったでしょう。

 

テーマ「治る」

 

ヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌)

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千鳥ヶ淵の桜並木から半蔵門園地へ

春爛漫の時期を迎えましたが、みなさま如何お過ごしでしょうか。

今年は例年よりも開花が遅れたことに加え、なかなかお日様が顔を出してくれない日が続いていましたが、今日は久しぶりに日差しが戻ってくるということで、事務所最寄りの半蔵門駅から一駅手前の九段下で下車し、千鳥ヶ淵の桜並木を見上げながら出勤しました。

九段下駅2番出口から地上に出てみると、すぐ左手に北の丸公園の桜の木々が堂々と咲き誇っていました。雲一つない青空、新緑、松葉、そして満開の桜。色鮮やかな景色に、思わず足を止め見とれてしまいました。

 

 

 

 

 

緑道を歩いていると、朝の澄んだ空気の中、春の日差しが水面で煌めく様子がとても美しく、心が洗われるようです。ふと気がづくと、カメラのレンズ越しに会社員らしきスーツ姿の人が。「あの人も今日は歩いて出勤することにしたのかな」と勝手に親近感が湧いたりして、より一層足取りが軽くなりました。

 

 

 

 

 

千鳥ヶ淵といえば、ボートを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。乗り場には、営業時間30分前にして20メートル以上にも及ぶ行列が!人気の高さに驚きつつも視線をやや下の方にずらすと、ステージ袖で出番を待つかのように白鳥たちがきれいに整列していて、そのコントラストが面白かったです。

十二分に桜のトンネルを堪能したところで、緑道出口の横断歩道を渡り駐日英国大使館の方へ。次なる目的地は、駐日英国大使館より返還された旧敷地を利用して作られた国民公園皇居外苑半蔵門園地です。

半蔵門園地は、2015年に駐日英国大使館敷地の5分の1にあたる約7000㎡が日本に返還されたことにより、国民公園である皇居外苑の一部として整備された公園です。

駐日英国大使館の跡地であった歴史的背景を感じられるように、植栽、石垣、腰壁やローズポール等は英国を象徴するイングリッシュガーデンを取り入れデザインされたそうです。

園内の東側には、ケンブリッジ公爵ウイリアム王子が植樹された桜「太白」を中心にベンチやテラスが設置されているので、ちょっとした休憩スペースとして利用することもできますし、西側にある芝生広場では、楽しそうに犬と遊んでいる人の姿も見受けられました。

公園内には当時の外壁の一部が保存されており、この土地の辿ってきた歴史にも思いを馳せることができます。

九段下駅から事務所まで約2㎞。軽い運動にはちょうどいい距離です。

事務所にいらっしゃる際には足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

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祖母の想い出

祖母の想い出

西日の差し込む祖母の部屋はいつも線香の匂いがたちこめていた。四歳のとき弟が生まれたので、私は祖母と寝起きを共にすることになった。

祖母は熱心な仏教徒だった。朝晩、唐木仏壇を開いて香炉に線香を立て、長いお経を唱えた。祖母の年齢にしてはびっくりするほど張りのある声だった。その独特なリズムと最後にリン棒でおりんをチーンと鳴らすのが面白くて、見とれているうちに私はいつしか空でお経が言えるようになった。

「おばあちゃんがいない間、仏様のお守りを頼んだよ」

月に一回、祖母は泊りがけでお寺の本堂で行われる講和を聞きに行く。そこで親しい友人たちに会えるのも楽しみだったのだろう、髪をきちんと結い上げて、一番上等な着物を着て、うきうきと出かけて行った。毎回その姿を見ながら、お寺というところはよほど楽しいところに違いないと私は思っていた。

留守の間祖母がしていたとおり、花立ての水を取り換え、線香を立てて、私は全く意味がわからないお経を祖母の声を真似て、唸るように唱えた。最後に鳴らすおりんだけは祖母と違って何回も鳴らした。

母は感心して「いい子だね」と褒めてくれた。日ごろ祖母と母の仲がしっくりいっていないのを子供ながらに感じていた私は、祖母が帰ってきたとき、その話題できっと母と意気投合するだろうと嬉しくてならなかった。

「お母ちゃんに内緒だよ」

お寺から帰った祖母は、二人になると巾着袋から紙に包んだお菓子を取り出し、「お勤めありがとう」と言ってにこにこしながら渡してくれた。少し線香の匂いがした。

祖母は孫たちが良い子に育つように願っていたのだろう。だからことあるごとに「悪いことをすると罰があたるよ」とか「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるからね」と、ほぼ脅かしに近い言葉を口にしていた。それは祖母なりの宗教教育だったのかもしれない。私は祖母が大好きで、尊敬もしていたので、祖母の言うことは全て正しいと信じていた。

特に土地柄が米どころだったのでお米に関しては厳しかった。

「お米はね、お百姓さんが八十八回腰を曲げて作られるものなんだよ。だからごはんは一粒たりとも無駄にしてはいけないよ。無駄にしたら罰があたって目が見えなくなるからね」と、耳にたこができるほど聞かされていた。

ところがある日、お手伝いで仏壇のごはんを台所に運んだとき、私は誤って流しにこぼしてしまった。無情にもごはんは流しの排水口からあっという間に流れて行った。

「目が見えなくなる!」

恐怖で体がこわばった。不安で、不安でいられなくなった。私は一日中めそめそしながら過ごし、おなかも空かなかった。普段と様子が違う私を見て、夜に帰宅した父がどうしたのと話しかけた。私は震えながら恐ろしい失敗を父にこっそり打ち明けた。

「そうか、それは大変だったね。でも大丈夫だよ。罰は当たらないし、目が見えなくなることは絶対にないから安心して寝なさい」と、父は笑いながら言った。どうしてこんな時に父が笑うのか疑問だったが、なんだかほっとして私は眠りについた。

しかし、まだ不安が続いていたのか、私は真夜中に目が覚めてしまった。昭和二十年代の北陸の田舎では夜は漆黒の闇だった。

「ああ! 見えない!」私は悲鳴を上げた。その声で隣で寝ていた祖母が飛び起きて。「どうしたの」と、おろおろしながら言った。

「やっぱり罰があたったんだよ……」私はそう言って悲しくて大声で泣いた。それを聞いて父がすぐ飛んできて部屋の電気を点けた。

「あっ! 見える」と思ったが、恐怖の衝撃が治まらず、私は父にしがみついて泣きじゃくった。

「あのね、また言うけど、罰なんか当たらないし、目が見えなくなることはないよ。それはね、おばあちゃんが子供たちにお米を大切にしてほしくて言った嘘だったんだよ。だからもう心配しなくていいよ」

と、父が優しく言ってくれたが、私は更なる衝撃に襲われた。

おばあちゃんが嘘をついた!

私は振り返って祖母を睨んだ。そして「閻魔様に舌を抜かれるからね!」と、心の中で叫んだ。

かくして私の祖母への尊敬は崩れ去った。おばあちゃんの言うことなんか信じない。私は心に固く誓った。

とはいっても子供だったので、ぐっすり眠った後は、やっぱり祖母のことは大好きだった。祖母はそれ以来お米については何も言わなくなった。

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年始のご挨拶

 

 

 

 

新年あけましておめでとうございます。

堀内法律事務所は本日(1月5日(金))より業務を開始しております。

本年も何卒よろしくお願い致します。

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年末年始休業のお知らせ

 

 

 

 

 

2023年も残すところわずかとなりました。

当事務所では下記の期間を年末年始休業とさせていただきます。

年内最終営業日:2023年12月29日(木)
年末年始休業 :2023年12月30日(金)より2024年1月4日(木)まで

新年は1月5日(金)より平常どおり業務を開始いたします。

くれぐれもご自愛のうえ、よいお年をお迎えください。

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